お母さんが死んでも絶対泣かない

母のことが嫌いだというと、皆に責められそうな気がして言えなかった。
友達のお母さんはみんな優しくて、子ども思い。
我が家だけどうしてこんな風なの?

何度も傷ついて、泣いて、怒鳴り合って。
当時の私は「お母さんが死んでも絶対泣かないと思う」本気でそう思っていた。

そんな気持ちが少しずつ薄れてきたのはいつのことだろう??

昇華されていく辛い思い出

結婚して子どもが小さい頃は、弟たちともそうそう会うこともなく。
会っても食事程度で帰るだけの短時間だった。

それは母も同様で、子どもを連れて会いに行っても、日帰りで帰る。
話の内容も子どもの話題が中心だった。

結婚期間中は、婚家との確執の間に入って、一番母のことを憎んだ時期だったかもしれない。

結婚10年目で離婚し、婚家に遠慮することがなくなったので、お盆と正月は実家に帰って1泊するようになり、弟たちと共にお酒を飲みながら話をするようになった。
小さい頃は壮絶な兄弟げんかをしていた弟たちも、当時の記憶はすっかり昇華されており、仲良く当時のことを語りあっている。
私達姉弟も、過去の母親の愚行奇行(?)を酒の肴にして笑い合った。

私達は、当時の辛い記憶を振り返って語り合い笑い合いうことで、自然とヒーリングになっていたのかもしれないと、今になって思う。

認知症になって残るもの

母は料理は得意だった。
大皿に盛り上げた唐揚げ、飯台一杯のちらし寿司、ポテトサラダ、茶わん蒸し。

結局いつも食べきれずに残してしまうので「もったいないからやめて!」と注意しても、次もまた同じように料理を作る。

認知症になって神戸に来てからも、一人暮らしなのに食べきれないほどの料理を作る。
食費がいくらあっても足りないくらい。

幼い頃に食べ物が食べられずひもじい思いをした母が、子ども達孫たちに沢山食べさせたいという思いだったのだろうと、今になって納得する。

認知症になって残るもの。
それは、一番大切な気持ちなのかもしれない

いつも思い出す光景

母が死んでも泣かないと思ってたけれど、今は気持ちは変わってきている。
それは私も年齢を重ねて涙もろくなったせいか?
それとも、老いてゆく母の姿が、間もなく訪れる別れを予感させるからなのか。

今、一人暮らしの部屋でも、時々子どもや孫を待って、料理を作ろうとしていることがある。
その姿を見る度に、必ず思い出す光景がある。

それは、母がまだ大阪で一人暮らしをしていた時。
盆や正月に私が子供を連れて帰省する時、必ずマンションの玄関に立って待っている姿だ。

到着する時間を教えていないのに、いつもちょうどよいタイミングで待っている。
家にはテーブルいっぱいの料理を準備して。

いったい何時間まっていたのだろう?
私達が来るのを楽しみにして、ずっと立って待っていたのかもしれない。


ご馳走を作って娘息子、孫たちを首を長くして待つ。
そんな母の姿が、何故かいつも必ず思い浮かぶ。