母は「毒親」だった 親ガチャはハズレだったのか?

母は毒親だった?

母ま今で言う所謂「毒親」だったのかも。そう思い始めたのはつい最近のことだ。
父親は私が小学校5年生の時に病死して、それ以後母が私たち姉弟を育ててくれた。


父が死ぬ前に伯母から「お父さん死んだらお母さんがお父さん代わりに働くから、ゆつきちゃんはお母さんの代わりになってね」と言われた。


私はその当時から弟の面倒見たり、家事も手伝っていたりしたので、今までよりも更に頑張って手伝った。

中・高校時代の記憶

母親は一番働いていた時は、昼も夜も働いていた。その分私が家事をして助けた。
ただ困ったことに、母の勤務先が安定しなかった。

もともと手に職が無く、仕事があるだけラッキーなのに「職場で嫌な人がいる」とか「喧嘩したからとか」「給料安いから」とか、子どもみたいな理由で仕事を辞める。
日給の仕事なのに、雨が降ってるから今日は休むとかも日常茶飯事

高校生当時の私は「ちゃんと仕事続けた方がいいんじゃない?」「毎日働かないと給料少なくなるんじゃない?」とは薄々思って伝えたこともあったが、現状が変わることはなかった。

パチンコ好き


休日はパチンコに行く。
「毎日頑張って働いてるんだから、休みの日くらい楽しいことさせて」と言うのが母の言い分。
もちろん、家事は放棄。当然負けるので、家計はますます苦しくなる。

ある日、朝からパチンコに出かけた母が昼過ぎても帰ってこなかった。
お腹を空かせた弟たちに、ご飯を作るかどうか迷う。
ひょっとしたら何か準備してるかもしれないから「もうちょっとだけ」と母の帰りを待った。

昼食の時間をかなり過ぎて帰宅した母

「今、パチンコ出とるから。これでほか弁でも買って食べといて」
と千円札を数枚置いて、矢のように飛び出して行った。

当時ほかほか弁当を買えるのは「たまの贅沢」の感じで、とても楽しみだった。
ただそれは最初の数回だけ。
何度も続くうちに、独特のあの油と味が胸やけするようになり、食べられなくなってしまった。
(この当時のことがある種のトラウマになり、私は今でもほか弁やコンビニ弁当が苦手だ)

とにかくお金にはルーズ
子どものことより自分のことを優先しがちな所が多い母親だった。

このような出来事は他にも山ほどあって。
私が定時制の看護学校に行き始める辺りから、お金に纏わるエピソードは山ほどある。
何度泣いたか分からない。
これらのエピソードを話すと長くなるので、また別の機会に。

高齢になると子どもに戻る

私が看護学校に行き、看護師になり、結婚して子どもも生まれ、そして離婚。
その間に多くのトラブルがあり、確執があり、お互い罵り合った日もあった。
正直、私も母を憎み恨む日も多かった。

ただ不思議なことに、母親が年齢を重ねるにつれ、その確執も徐々に和らぎ。
お正月やお盆に帰省したときは、当時の母の愚行を姉弟で笑い話として話せるようになってきた。

時は気持ちを和らげるのか。
高齢になると子どもに戻るというが、まさにそんな感じ。
私たちも穏やかに接することができるようになった。

母親の愛情を知らない母

「毒親」という言葉を耳にするようになったのは、ここ数年のことだと思う。
なので、後から思い出してみるとまさに「毒親」に分類されるのかも。と最近になって思うようになったが、単純に「毒親」と分類するほどでもないとも思ってる。

母は生まれてすぐに実の母親が亡くなって、継母に育てられている。
真相は分からないが、母曰く「相当虐められた」とのこと。
母は「本当の母親の愛」を知らずに育ったので、自分の子どもにも「母の愛」を与えることができない人なのだと思う。

自己愛が強い。子どもよりもまず自分を優先してしまう。
母自身が子どものまま大人になってしまった人なのだ

毒親なのかもしれないけれど、好きでそうなった訳じゃない
そこだけは受け止めてあげたいと思う(腹立つこともあるけどね)

「あんたの世話になんかならへん!老後も一人で大丈夫や!!」


私たち姉弟は、今は母をそれなりに大事に介護している。
私たちからしてみたら「親ガチャ」としてはハズレの部類だったのかもしれないが、母からしたら「子ガチャ」は当りだったんじゃない?
というか。そもそもガチャって当りとかハズレとかではなくて「思ってたやつなのかそうじゃないか」の違いなのかもしれないな。

「あんたなんかの世話にはならんわ!」と啖呵切ったことある母ですが。
今めっちゃ世話になっとるで。感謝しろよ!

パーキンソン病79歳側溝に嵌る 介護はいつもガチャの連続

2024年始まって早々1月3日 母が側溝に嵌った。


79歳パーキンソン病+レビー小体型認知症。
薬の副作用×病気の症状で、常に幻覚が出やすく、これまでにも何度も警察のお世話になっている。
「家に火をつけらえた!」と、夜中に裸足で飛び出して110番通報
「娘が風呂場で縛られている」と110番通報
その都度呼び出されるのは私だ。夜中であろうとお構いなく・・・

警察に保護されたときどうする?

一番多かったのは「迷子」
本来のせっかちな性格、方向音痴、幻覚、認知症、不慣れな道(高齢になってから引っ越した)
迷子の要素を全て兼ね備えていて、一度買い物に出たら90%家に戻れず警察に保護される。
これもまた、昼夜問わず呼び出されるのは私だ。勘弁してくれ・・・と言いたくなる(いや、実際言った笑)

ちなみに。
迷子で警察通報されたら、警察は必ず誰かに引き渡して書類にサインをもらわないといけない。
仕事中だろうが、呼び出される。
困るのが警察署に連れていかれること。
警察署まで連れていかれると、私はそこまで迎えに行ってサインをして、そこから連れて帰らなければならない。
車を持っていない私は、シェアリングカーかタクシーを利用しないといけない。
迷子5回を超えたあたりから私も慣れてきて
「警察署に行かないで!家に連れて帰ってもらえませんか?家に向かいます!」
と言って連れて帰ってもらう術を身につけた。

最近は転倒も増えてきてあんまり歩けなくなってきてたから、外に出ないので迷子になることもなくなっていた。
すっかり油断していた。

訪問看護で訪問

訪問すると家にいない

私は訪問看護師として、母親の訪問看護にも行っているのだが、この日は訪問の日だった。
訪問すると家にいない。そんなはずはない。デイサービスでもないし、ここ半年ほど外には出ていない。押し入れの中、トイレの中、お風呂の浴槽の中まで探したけどいない。
ちょうど訪問してきた介護スタッフとも手分けして近隣を捜索。
1時間ほど探し回ったが見つからない。事故などの最悪の状態を想像し、今回は初めて自ら警察に赴いた。
警察で事情説明している間に、弟が携帯の位置情報で位置確認。ほぼ同時のタイミングで救急車から連絡が入る。

え?側溝に嵌ってる??

この狭い側溝の中に嵌っていたらしい。自宅から500mくらいの場所だった。
いや。ここ、何回も通ったのに見つけられなかった。
ひょっとして溝の中にいた??

(どうでもいいけど神戸は何でこんなに蓋がされてない側溝が多いんだ?)

擦過傷程度でした

現場に到着すると、母は救急車に乗せられていた。でも、手や膝の擦過傷、頭にも傷はあったけれど意識もしっかりしてたので、自宅に戻ることに。
(救急車が自宅まで送り届けてくれた。感謝!!)
この溝に落ちて嵌って、擦過傷で済んだのは奇跡としか言いようがない。
私の家系の伝統「こけかたが上手」「骨が丈夫」
ご先祖様&遺伝子に感謝🙏

往診

念のため主治医に連絡し、往診してもらう。
動きが悪くなったのでパーキンソンの治療薬であるネオドバストンの量を増やしていたのだが、そのことにより幻覚が悪化、動きも良くなることで多動性も出てきてしまうことが原因の一つであるとのことで、薬は減量に。
動きは悪くなるけれど、危険行動と天秤にかけたら、動けない方が安全と判断。
(パーキンソンと薬については後日説明します)

介護はガチャの連続

母の介護を本格的に始めたのは2年前。
大阪で一人暮らしをしていた母だが、救急搬送され入院することが増えてきたので、私の家の近くに引っ越しすることにした。
訪問看護で介護看護には慣れていたけれど、実際に自分の家族を介護するのはまた少し違う。
毎日思わぬ事件が現れる。
まるで毎日ガチャを引いてるみたい。
それでも、母もそれなりに生活を楽しめて、大きな怪我無く過ごしていけるのなら、ガチャはそれなりに当りが出ているということにしとこう