母が嫌いだった。わたしの脳内は母の固定観念で支配され、わたしはわたしが嫌いだった。
青木さやか「母」
ずっと言ってはいけないと思ってた
母が嫌い。
そんな言葉を口に出すことはタブーだと思っていた。
この本を読み始めた瞬間に、冒頭に上記の一文があり、私は一気に本の世界に引き込まれるとともに、安堵の波が押し寄せた。
口に出してもいいのだと、50年近くの時を経て、ようやく解放された気分になった。
産後の手伝いで口論になる
母と私は親子としての関係を辛うじて維持しつつも、何度となくぶつかりながらの月日が経過していた。
私が第2子出産後のことだった。
母が泊まり込みで手伝いに来てくれた。
いや。無理矢理そういうセッティングにさせられたというのが正しい。
当時姑が全てを仕切っていて「産後はお母さんに1週間ほど来てもらって、その後は私が手伝うからね。その方がいいわよ」
正直なところを言うと、本当は一人で過ごす方が良かった。
気を使って仕方がない。
だが、姑の発言は絶対なので、逆らうことはできず、いう通りに母にも手伝いに来てもらうことになった。姑の配慮も有難いのだが、ある意味親切の押し付けでありる。ありがた迷惑じゃないか!と思ったけれど、今回はその話ではない。
高校卒業して家を出て以降、母とは帰省の時に2泊ほど一緒に過ごす程度。
私は休暇、母は久しぶりに帰省した娘をもてなして過ごす、いわば特別な日。
今回は、娘の家で手伝いをするという、一時的な同居生活のようなもの。
その違いは大きかった。
私は決して文句を言っているつもりはない事象に対しても、何度となくぶつかってくる。
私はその都度、怒りを抑えて穏やかに対応しようとしていたが。
「このお皿はここにしまって」
「この洗剤は泡立ちにくくて油切れが悪いから、熱めのお湯の方がいいよ」
そんな些細な声かけにたいして、突然母は怒り出してしまった。
「あんたはそうやって、私をバカにして!何にもできなくて申し訳なかったですね。私はどうせ頭が悪いから、何にもできませんよ」
と、勝手に一人で僻んで怒り出してしまったのだ。
バカにするって、そういうこと?ただの僻みじゃないか!!
ただでさえ、出産直後で睡眠不足及び疲労蓄積、母親との慣れない生活で気疲れも重なり
私もとうとう、言ってはいけない一言を言ってしまった。
「もういいよ。そんなに嫌なら帰って」
この本にも似たような場面があった。産後に来訪した母親。その母親に対して嫌悪感を抱いたというシーン。
そうだよ。
何よりも愛しい我が子を出産し、穏やかであろうその瞬間だって、憎しみの感情は生まれてくるんだ。
私は、この部分を読んだとき、まさに母に怒鳴ってしまったあの瞬間が思い出されたのだった。
自分が母親になったら、母親の気持ちが分かるようになると言うけれど、あれは嘘だ
母になったからと言って、分かるわけではない。
著者と母親のとの関係も、母になった瞬間から変わるものではなかった。
私も同じだ。
ただ
子どもが大きくなり、私自身との関係が母として子として成長していく過程で、
少しずつ変化していくものなのかもしれない。
あんなに憎んでいたものを、今更否定したくない。
そんな複雑な気持ちを抱えつつも、少しずつ変化していく。
著者の心の変化にも大いに共感することばかりだった。
認知症になっても残るもの 年齢を重ねて昇華されるもの
娘や孫たちの来訪を心待ちにして、ご馳走を作って玄関先で待ち続けた母の立ち姿
こんな時には、必ずこの母親の姿が目に浮かぶ。
決して「良い母親」ではなかったかもしれないけれど
少なくとも「子ども」を思う気持ちはあるのだということを思い知らされる。