看護師

看取りと延命処置 家族で話すことの大切さ

主治医や介護事業所からの問いかけ

要介護4になった母
主にベッドで臥床して過ごし、食事の時だけトイレ歩行し座って食事をするという生活です。
相変わらずヘルパーさんが1日に5回ほど訪問し
介助をしてくれています

ベッドに横になっていれば寝ていることも多く
認知症も進行しました

先日往診の先生から「これからどうする?施設に入ること考えてる?延命処置どうする?」

そんな電話がありました

介護事業所の管理者さんからも

「施設入所はお考えではないですか?」との連絡もあり

家族で一度話し合う時期かも。
そう思い、夏に姉弟集まって話し合うことにしました。

看取りと延命処置

京都にいる娘と、大阪方面の弟達とその家族
全員の日程調整をして、母に会いに行ってきました。

医療職である私は、延命処置のことは分かっていても
医療にも縁なく、介護もしたことの無い弟達は
「延命処置とは?」
という感じなので、私から説明しました。

母自身も元気な時から
「何にもしなくていい」
と言ったのを、姉弟全員が鮮明に覚えていましたし
姉弟全員一致で
「延命処置はしない。自然な看取りで」
という話になりました。

施設入所についても
介護事業所の方は
「日中一人で過ごすことが多いので、施設の方が良いのでは?」
と言ってくださいましたが

私達姉弟は
「別に、本人が嫌がってないんやから、このままでいいんちゃう?」
という、あっさりな判断で
在宅介護継続となりました。

主治医や介護に携わる関係者と話し合いをしよう

今回、私達姉弟は同じ意見だったので、何の苦労もしませんでしたが。
中には兄弟間や親戚で意見が分かれることがあると思います。

その時は、主治医やケアマネさんに相談したり
時には担当者会議を開いてもらったりして、話し合いをすることが大切だと思います。

昔のように多世帯で過ごす環境ではなく
それぞれが核家族で介護をしていく現在の日本では
介護を続けていくことに困難に遭遇することが多いと思います。
そんな時は迷わずプロに相談して
プロのお力を借りながら介護を続けていくのが、介護のコツですね。

看護師にだけは絶対になりたくない!と言っていた私が毒親の訪問看護

「大学に行かせるお金はないよ」

母子家庭、姉弟3人の長女。
高校受験の時は「私立に行かせるお金は無い」と宣言されていた。
頑張れば合格できる可能性のある高校は「万が一落ちたら高校に行かせてもらえない!!」という恐怖のため受験を断念。
確実に合格できる高校を選択した。

大学受験のタイミングでも母は
「大学に行かせるお金はない。就職して家計を助けて欲しい」と宣言。
お金がないなら仕方ない。素直に就職するという進路を選んだ。

ところが。
ランクを落として入学した学校なので、一応ジャンルで言えば「成績優秀」
先生が進学をあきらめてくれなかった。

その時たまたま回ってきたのが、定時制の看護学校の推薦の枠だった。

先生!看護師にだけは絶対になりたくありません!

それまで、自分が看護師になるなど1度も考えたこともなく、
むしろ、絶対になりたくない職業だった。

先生!
私、自分の怪我の血を見ても気分が悪くなるんです。
夜の病棟の見回りとか、怖すぎて絶対無理なので、看護師だけは無理です。

その時の担任に放った言葉は、今でも一言一句覚えている。

夜の病棟はそんなに怖くなかった

「とりあえずここだけ受けろ。ここが合格しなかったら好きにしていい」
担任に押されて渋々受験した看護学校だったが、運よく(運悪く?)合格してしまった。

そして今に至る。

全身全霊で拒否した看護師だったけど。
始めてみたら、想像してたより夜の病棟の見回りは怖くなかった。
人の血なら、怖くなかった。

意外と行けるどころか、実際は何度もこの資格に助けられた。
離婚したときにすぐに就職することができた
子どもを育てていくのに十分な収入を得ることができた。

余談だけど。
離婚理由は元夫の浮気が本気になったパターン。
「結婚したい人がいるから別れてくれ」と言われ
「うーん、看護師の資格もあるし、何とかなるかなぁ」とぼんやり考えて承諾した瞬間を思い出す。
姑からは「何んで”貴方がいないと生きていけないんです。別れないでください”と言えなかったの?」と責められたが
「だって、生きていけると思ったんだもん」と思ったことは口に出さずにいた。

巡り巡って、毒親の訪問看護

看護師をしながら、息子と娘を育てる生活が始まった。
いつの間にか私は、訪問看護ステーションを設立まですることになり、存分に看護師の資格に助けられたことになる。

そして
60代でパーキンソン病を発症した母は、誰かの世話にならないと生きていけなくなる。
「あんたの世話にはならん!」と豪語していた母と、「看護師なんて絶対になりたくない!」と言っていた娘の私の介護生活は現在進行形なのである。