介護

「母が嫌い」口してもいいのだと安堵した 青木さやか「母」読後感

母が嫌いだった。わたしの脳内は母の固定観念で支配され、わたしはわたしが嫌いだった。

青木さやか「母」

ずっと言ってはいけないと思ってた

母が嫌い。
そんな言葉を口に出すことはタブーだと思っていた。

この本を読み始めた瞬間に、冒頭に上記の一文があり、私は一気に本の世界に引き込まれるとともに、安堵の波が押し寄せた。
口に出してもいいのだと、50年近くの時を経て、ようやく解放された気分になった。

産後の手伝いで口論になる

母と私は親子としての関係を辛うじて維持しつつも、何度となくぶつかりながらの月日が経過していた。

私が第2子出産後のことだった。
母が泊まり込みで手伝いに来てくれた。
いや。無理矢理そういうセッティングにさせられたというのが正しい。

当時姑が全てを仕切っていて「産後はお母さんに1週間ほど来てもらって、その後は私が手伝うからね。その方がいいわよ」

正直なところを言うと、本当は一人で過ごす方が良かった。
気を使って仕方がない。

だが、姑の発言は絶対なので、逆らうことはできず、いう通りに母にも手伝いに来てもらうことになった。姑の配慮も有難いのだが、ある意味親切の押し付けでありる。ありがた迷惑じゃないか!と思ったけれど、今回はその話ではない。

高校卒業して家を出て以降、母とは帰省の時に2泊ほど一緒に過ごす程度。
私は休暇、母は久しぶりに帰省した娘をもてなして過ごす、いわば特別な日。
今回は、娘の家で手伝いをするという、一時的な同居生活のようなもの。
その違いは大きかった。

私は決して文句を言っているつもりはない事象に対しても、何度となくぶつかってくる。
私はその都度、怒りを抑えて穏やかに対応しようとしていたが。


「このお皿はここにしまって」
「この洗剤は泡立ちにくくて油切れが悪いから、熱めのお湯の方がいいよ」

そんな些細な声かけにたいして、突然母は怒り出してしまった。

「あんたはそうやって、私をバカにして!何にもできなくて申し訳なかったですね。私はどうせ頭が悪いから、何にもできませんよ」

と、勝手に一人で僻んで怒り出してしまったのだ。

バカにするって、そういうこと?ただの僻みじゃないか!!

ただでさえ、出産直後で睡眠不足及び疲労蓄積、母親との慣れない生活で気疲れも重なり
私もとうとう、言ってはいけない一言を言ってしまった。

「もういいよ。そんなに嫌なら帰って」

この本にも似たような場面があった。産後に来訪した母親。その母親に対して嫌悪感を抱いたというシーン。

そうだよ。
何よりも愛しい我が子を出産し、穏やかであろうその瞬間だって、憎しみの感情は生まれてくるんだ。
私は、この部分を読んだとき、まさに母に怒鳴ってしまったあの瞬間が思い出されたのだった。

自分が母親になったら、母親の気持ちが分かるようになると言うけれど、あれは嘘だ

母になったからと言って、分かるわけではない。

著者と母親のとの関係も、母になった瞬間から変わるものではなかった。
私も同じだ。

ただ
子どもが大きくなり、私自身との関係が母として子として成長していく過程で、
少しずつ変化していくものなのかもしれない。

あんなに憎んでいたものを、今更否定したくない。
そんな複雑な気持ちを抱えつつも、少しずつ変化していく。
著者の心の変化にも大いに共感することばかりだった。


認知症になっても残るもの 年齢を重ねて昇華されるもの
娘や孫たちの来訪を心待ちにして、ご馳走を作って玄関先で待ち続けた母の立ち姿
こんな時には、必ずこの母親の姿が目に浮かぶ。

決して「良い母親」ではなかったかもしれないけれど
少なくとも「子ども」を思う気持ちはあるのだということを思い知らされる。

旅立ちの瞬間は自分で選ぶ 枕元に残された煙草の吸殻

末期がんでの一人暮らし

Mさんは末期の肺癌の男性。
医療機関に入院していましたが、退院して一人暮らしを再開することになりました。

末期で一人暮らし。
介護保険のサービスを利用すれば、それは決して不可能ではありません。

前述した定期巡回随時対応型訪問介護看護があれば、24時間の訪問介護サービスは受けられるし、ナースコールもあって、緊急時に対応してくれます。

訪問看護も休日や夜間はオンコールで対応してくれますし、訪問診療の先生も増えてきました。

末期がんの方であれば、最期にどうしても入院したいと思えば、ホスピス(緩和ケア病棟)などに予約を入れておいて、タイミングを見て入院することもできます。

家に帰って煙草が吸いたい

Mさんが自宅に戻ることを決意した理由は「自由に煙草が吸いたい」でした。

病院の敷地内は禁煙のことが多く、入院生活はMさんにとって不自由でしかない場所でした。

勝手に外出したり、禁煙スペースで煙草を吸ったりして、病院側からすればMさんは問題ケースでした。

ただしそれは、自宅に帰ってしまえば、その願いは何の問題もありません。
Mさんは自宅に帰ることを決意しました。

煙草を吸って、映画を見る毎日

訪問診療、訪問看護、定期巡回随時対応型訪問介護看護サービスを利用し、Mさんはご自宅に戻られました。

自宅に戻ったMさんは、煙草を吸って映画を見るという、希望通りの生活を再開することができました。

ただそれは、そう長くは続きませんでした。

末期の肺癌患者であったMさん。
ほどなく病状が進行し、移動するだけで息苦しさが増強し、室内の移動もままならない状態になってきました。

旅立ちの瞬間は自分で選ぶ

「旅立ちの瞬間は、皆様それぞれご自分で選べらます。賑やかな旅立ちを希望する方は、家族や親類が揃うのを待ってから旅立ちます。家族に心配をかけないようにと気遣う人は、家族が寝静まった時に旅立ちます」

尊敬する訪問診療の先生が、講義で言っておられた言葉です。

思い返してみれば、私自身の看取りの体験の中で、思い当たることばかりでした。

旅立ちの瞬間は、ドラマの中の臨終の場面のように、家族がみんな傍にいて手を握って、最期の言葉を発して旅立つ・・・というようなことは絶対にありません。
本当に、その方の生き方や希望が現れるように旅立たれます。

Mさんの旅立ち

Mさんは徐々に動けなくなり、ベッドから起き上がれなくなりました。

人の旅立ちは夜中や明け方が多いですが、Mさんの場合は昼間でした。

1週間に1回の往診で、先生がMさんの往診に訪れた時です。
先生の目の前で、息を引き取られました。
誰かの目の前で息を引き取られることは、実は滅多にないことで。
家族がつきっきりで見守っているならばあり得ますが、独居の方はその確率は限りなく0に近いのです。
訪問したら息をしていなかったということが大多数でしょう。

妻や子どもと疎遠になり音信不通
身近な人間と言えば、足を悪くしてお見舞いに来ることもままならないお姉さんだけ。

恐らく、一人で気ままに過ごすことを好み、最期も一人で自宅を選んだMさんですが。
最期は誰かに看取って欲しかったので、先生が来られるタイミングを待っていたのではないでしょうか?

そして。
枕元の灰皿には、1本の煙草の吸殻
今わの際に好きだった煙草を1本吸い、見守ってくれたドクターの訪問にホッと安心し
穏やかに旅立たれたことと想像しています。


認知症高齢者のひとり暮らしの限界は? デパートに毎日通い続けるSさん

通帳がない

Sさんは、神戸の中心地の高層マンションに独り暮らし。

口癖のように「通帳がない」といつも通帳を探しています。認知症高齢者のこのような発言に対し「何言ってるの?通帳は娘さんが預かってるでしょ?」と言って、正論でぶつかってはいけません。

「後で探すの手伝いますね。まずは血圧測りましょうか?」
と話をそらせば「あらそうね。お願いします」
と、上手い具合に誘導できることがありますが、100%ではありません。
「そんなことより通帳が大事よ!」と怒られたことも多々・・・

上手い具合に話を逸らせても、さあ帰ろう!というタイミングで「あ、そうだ!通帳がないのよ!」
と、突然ふりだしに戻ることもあり、この戦いは永遠に続くかと思われるのでした

認知症の初期症状によくみられる

「通帳がない」「お財布がない」は、認知症の初期によく見られる症状です。

認知症の症状として特徴的なことの一つとして、認知症の方は過去に印象に残っていることに拘る傾向があるということです。

私の母の場合の「財布がない」「お金盗られた」は、お金に恵まれたなかったことによるお金へのこだわりでした

同じ「お金」でも、拘り方も様々なようですね

毎日買い物に行って、沢山の食料品を買ってくる

Sさんが毎日のように買ってくる食料品は、ヘルパーや訪問看護師が整理し、賞味期限が切れたものはこっそり廃棄していました

それでもまた翌日には、前日と同じ量の食料品を購入し冷蔵庫に補給。

そしてこれもまた、永遠に終わることの無い追いかけっこのようでした

認知症の症状である「買い物に行ったという記憶も忘れてしまう」ので
翌日も同じような行動を繰り返すのです

認知症高齢者の独居生活の限界点は?

認知症になったからと言って、すぐに何もできなくなるわけではありません。
介護保険でヘルパーや訪問看護などで見守りをすれば、独居生活を続けることは可能です。

Sさんはその後徐々に認知症が悪化していき、グループホームに入居することになりました。

室内で転倒していていることが増えたこと
入退院が増えたこと
キーパーソンである娘さんが遠方であったこと
以上のような理由で、ご家族の希望もあり入居が決定しました。

ただ。Sさんの場合は、比較的長い間独居生活ができた事例だと思います。
経済的にも恵まれていたこともあり、ご自分の好きなタイミングで買い物に行き、好きな物を買う。

勝手な想像かもしれませんが、Sさんはそれなりに独り暮らしを楽しめたのではないでしょうか?

認知症になる前と変わらずに、デパートで生き生きと買い物を楽しんでおられたSさんの笑顔が
今でも脳裏に浮かびます。

認知症の初期症状 物忘れと認知症の違いは?

認知症と物忘れは違う

「最近、物の名前が出てこなくなった」「昨日何食べたか忘れちゃった」
ひょっとして認知症?と思われる方もいるのではないでしょうか?

物忘れと認知症は違います。

物の名前を忘れたり、1部分の記憶が抜けてしまうのは、物忘れです。
何かのきっかけさえあれば、思い出すことができます。

認知症の場合は、行為そのものを忘れてしまう、ある一時期の記憶がそれごと抜け落ちてしまいます。

良く「私はまだ朝ごはん食べてない。うちの嫁さんがご飯を食べさせてくれない」というような
ドラマでありがちな設定がありますが。
まさにこれは「ご飯を食べたこと自体」を忘れてしまうので、認知症の典型的な症状だといえます。

財布や通帳が良くなくなるということはありませんか?
財布や通帳など、大事なものなので隠しておこうとして、その隠したこと自体を忘れてしまう。
そうすると「財布が盗られた」「通帳がなくなった」ということが多発することになります。

認知症の初期に「あれ?」と思ったら、まずこの違いを思い出して受診をするか否かを検討して欲しいです。

財布盗られた!!

我が家の母の場合。
今思い出してみれば、1度だけ「財布盗られた」と電話がかかってきたことがありました。
当時一緒に住んでなかったで状況が分からなかったこと
そして何より、ギャンブル好きの母なので、本当にお金を使い込んでしまったのだと思って、
認知症のことは疑いもしませんでした。

パーキンソン病が進行し、私が介護を始めてから
明らかに「財布盗られた」「財布が空っぽだ」などの言動が増え、まさしくこれは認知症の典型的な症状だと思い至ります。

人は認知症になったとき、今までの人生の中で印象に残っていたこと、苦労したことなどに拘るようになるとのことで。
まさしく、小さい頃から経済的に恵まれず、大人になってからもお金に苦労した母。
まさにその通り!と納得の症状です。

「財布を盗られた!あんた盗ったでしょ」と言われた時どうすればいい?

認知症が進行してくると、このような言動が増えてくることがあります。
認知症のそのような症状に対する介護方法として「怒ってはいけない」と言われてます。

認知症の方は「財布を自分で隠した」記憶がすっかり抜けているのですから、人を責めてしまうのは仕方がないことです。
本人も不安なのです。
それを「違うでしょ!」と否定してしまうと、その不安さえも否定されるので、周辺症状「暴言」「怒りっぽくなる」「鬱状態になる」が強くなる可能性があります。

できるだけ否定せず、付き合ってあげたり、話をうまく逸らしたりするのも手です。

ただ、毎日毎日同じようなことで罵られていては、怒るなという方が無理ですよね。

ストレスを溜めない範囲で対応しましょう。
怒ってしまった自分を責める必要はありません。

今は地域の認知症カフェ、福祉の集い場など、当事者は家族が交流できるスペースもあります。
ケアマネージャーがいれば、ケアマネージャーに相談するのも手です。
介護認定を受けていれば、デイサービスやショートステイを利用したりしt、介護者さんもリフレッシュするのも一つです。
担当の訪問看護さんがいたら、訪問看護師さんに相談するのも良いと思います。

介護認定を受けていなければ、地域包括支援センターに相談したり、主治医の先生に相談してみてください。

定期巡回随時対応型訪問介護看護ってどんなサービス?②

何故定期巡回随時対応型訪問介護看護が良かったの?

前回の続きです
前回はこちら 定期巡回随時対応型訪問介護看護ってどんなサービス?

実際の母の場合は、どのように対応してもらったか。
母は何故定期巡回随時対応型訪問介護看護(以下定期巡回といいます)が適していたのかというお話です。

指定訪問介護のデメリット

限度額オーバーの可能性

通常の指定訪問介護では、例えば朝のモーニングケアであれば、介護の点数として「身体介護」「生活援助」を組み合わせてプランを組む必要があります。

PAD交換、洗面所までの移動、歯磨きや洗面の介助は身体介護
食事の準備、片付けなどは生活援助
朝の場合だと、身体介護30分、生活援助20分と言ったところでしょうか。

それが少なくとも1日3回ほどあり、1か月の計算で行くとあっという間に限度額オーバーになってしまいます。

2時間ルール

指定訪問介護にはサービスとサービスの間は2時間あけなければならないルールがあります。
2時間空いていなければ、前のサービスと合算されてしまいます。
動いたのに算定できないという状態が生まれます。

転倒、排便などで急に行かなければならなくなった時に、算定できないのは事業所としては大きな問題となります。

緊急時、夜間の対応が難しい

転倒や排便での対応の話をしましたが。
そもそも、指定訪問介護では「緊急時の訪問」という区分がありません。
原則はケアマネージャーさんの立てたケアプランに基づいて訪問するので、
予め決められた時間に動くのが原則です。

また、事業所もそのようにスケジュールを決めて動いているので
急に対応しようと思っても、できないというのが現状です。

営業時間も昼間だけ。日祝はお休みの事業所も多く、24時間365日の対応が難しいです。

定期巡回のメリット

定期巡回は身体と生活の組み合わせでの単価ではないので、臨機応変に対応します。
効率よく業務をこなせば、必要以上に滞在する必要はありません。

1回当りの時間を効率化し、複数回の訪問が可能になります。

1回いくらのサービスではないので、2時間ルールもありません。
何人かのスタッフが、時間に制約されずラウンドしているので、緊急時の対応も可能です。
24時間でシフトを組んでいるので、夜間も夜間の緊急時も訪問可能です。

分かりやすく言えば、高齢福祉施設の在宅バージョンだと思ってください。

デメリットとしては。
駆けつけるといっても、同じ施設内という訳にもいきませんので、駆け付けるのに30分ほど時間がかかってしまうということがあります。

母の場合

母の場合は。
まずは薬の内服回数が多いので、それだけでも指定訪問介護では対応難しいこと。
転倒の可能性も大きく、臨時の訪問が必須になってくること。
寝る前の薬も自分では飲めないので、夜間の訪問も必要であること。
それを踏まえると、定期巡回が一番適していると判断しました。

介入当初は自分でできることが多かったので、PAD交換(もしくは確認)と内服確認だけで事足りていました。
それでも、定期巡回のサービスがあったからこそ、快適に生活できているのだと思います。

1つ欠点を言うならば
必要最低限のケアであるから、あともう少しというサービスが削られがちであるということ
食べる楽しみすら奪われる?在宅介護における生活支援の現状
食事は手をかけずに食べられるものが優先される。

ここはほんのもう少しだけ配慮が欲しいと思うのは、家族の勝手な希望なのでしょうか?
事業所側の言い分も分かるけれど、ここは家族が我慢するか、家族が負担しろよ・・・ということなのかな?


定期巡回随時対応型訪問介護看護ってどんなサービス?

定期巡回随時対応型訪問介護看護の概要

定期巡回随時対応型訪問介護看護とは?

定期巡回・随時対応型訪問介護看護は、利用者が可能な限り自宅で自立した日常生活を送ることができるよう、定期的な巡回や随時通報への対応など、利用者の心身の状況に応じて、24時間365日必要なサービスを必要なタイミングで柔軟に提供します。また、サービスの提供にあたっては、訪問介護員だけでなく看護師なども連携しているため、介護と看護の一体的なサービス提供を受けることもできます。

・・・と。
概要を聞いただけでは分かりにくいと思うので、事例を交えながら順番に説明していきます

介護保険と限度額について

まずは介護保険について
介護が必要な状態になったとき、介護認定調査を受けます。

介護認定調査を受けると、介護度が認定されます。

介護度は要支援1,2、要介護1~要介護5までに分類され、要支援1が一番軽く、要介護5が一番介護が必要とされる状態です。

介護度に応じて、介護保険サービスを利用できる点数というものが決められており、
その点数内で、必要なサービスを組み込んでいきます。

通常、介護保険サービスはケアマネージャーが作成するケアプランというものを元に
必要なサービスを組み込みます。

例えば。
私の母親が通常の介護保険サービスを利用した場合でお話しします。

79歳女性
パーキンソン病
内服が朝、昼、15時、18時、寝る前にあり
トイレには行けるときと行けない時があり、失禁があるのでPAD交換が必要。
食事の準備もできないことが多いので、準備の介助と片付けが必要。

と、このような状態であれば

朝(モーニングケア)・・・起床介助、洗顔・歯磨き等、PAD交換、朝食準備・介助、内服介助
昼・・・PAD交換、内服介助、昼食準備・介助、片付け
15時・・・PAD交換、内服介助
18時・・・PAD交換、夕食準備・介助、片付け、内服介助
22時・・・PAD交換、服薬介助、就寝介助

と最低でもこれだけのサービスが必要になります

介護には身体介護と生活支援とがあり、服薬介助、PAD交換などは身体介護
食事の準備片付けなどが生活支援に当てはまります。

それらをそれぞれの点数で組み込んだ場合、かなりの点数を利用することになります。
介護のサービスが多い人は、限度額がオーバーしてしまい、資金面や家族の介護の負担が増えることがあります。

定期巡回随時対応型訪問介護看護は包括報酬=サブスクリプションサービス

定期巡回随時対応型訪問介護看護は特徴にあるように、24時間365日のサービスです。
まず、1日を通して必要なサービスを行うのは指定訪問介護と一緒ですが
一つ一つのサービスを積み上げて計算せずに、限度額内にサービスを詰め込む感じです。

例えると、100円の物は10個購入して1000円(税別)、でも、定期巡回は11個や12時になってしまっても、まとめて1000円というイメージです。

また、定期巡回随時対応型訪問介護看護は「緊急訪問」の区分があります。
「便が出てしまったので交換して欲しい」「転倒したから助けて欲しい」などの緊急事態があった場合
必要に応じて随時の訪問を追加することができます

24時間ですので、夜間の訪問が可能なことも特徴の一つです。

通常の指定訪問介護では、「何曜日の何時から1時間」と決められているサービス以外の時間は
訪問はできないのが原則です。
また、夜間に営業している事業所も少ないので、夜間のサービスが必要な利用者は、24時間のサービスに対応している定期巡回随時対応型訪問介護看護適しています。
(夜間対応型訪問介護というサービスは一部の事業所で対応あり)

実際のサービス内容についてはまた後日説明します。


食べる楽しみすら奪われる?在宅介護における生活支援の現状

宅配弁当導入しませんか?

神戸での在宅介護を開始したタイミングで、定期巡回随時対応型訪問介護看護を利用した。
≪参照≫緊急訪問も夜間の訪問も可能 在宅で介護を続けられる理由

介入当初は、一人で買い物にも行けたし、食べきれないほどの料理を作って毎日がパーティだった。
薬の飲み忘れと失禁はあるので、決められた時間の内服介助とPADの交換が、主な支援内容だった。

徐々に食事が作れなくなってきたので、コープの宅配で温めれば食べられる食品などの購入と、私が作った作り置きおかずを定期的に持って行っていた。

ある時担当者会議で受けた提案「宅配弁当を導入しませんか?」

冷凍の物ばかりだと栄養が偏る、メニューに同じものが続くから・・・という理由だった。

家族としての心の声

宅配弁当は1食だいたい500円前後。宅配の人件費もいるので、1食当りが割高になる。

そもそも。私が持って行った総菜や冷凍食品で本人は十分美味しいと言っているし。
メニュー構成くらいその中からヘルパーさんが考えてくれたら、問題解決するのでは?
私はそもそもお弁当嫌いなんだけど。
・・・と思ったけど、言えなかった。

正直、経済的にも厳しいけれど、夕食だけお弁当を導入することになった。

在宅介護業界における生活支援の変遷

介護保険は、要支援・要介護者の生活及び身体的介護を支援するサービスとして2000年に制定された。
医療機関で入院していることが多かった高齢者が在宅での生活にシフトされたこと、要介護者の増加に伴い徐々に「生活支援」から「身体介護」メインにシフトしていった。

当初は生活支援が多かったので、利用者さんも介護スタッフ=掃除のおばさん、料理を作ってくれるおばさんと認識している所があり、家政婦との混同されていることが多かった。

医療機関は90日を超えると診療報酬が低くなってしまうので、早々に家に帰したい。
そうして、まだまだ医療度や身体介護率が高い高齢者が在宅に戻ってくることになった。

必然的に、在宅での身体介護を占める割合が増え、生活支援が縮小せざるを得ない状況に陥った。

社会情勢、診療報酬、制度の変更などを経て、在宅生活における生活支援は最小限に縮小されているのが現状。

調理や掃除などは、できる範囲で本人や家族が実施。シルバー人材や民間サービスなどでの保険外サービスでの介入が主流になってきた。

母の生活支援の現状

以前は生活支援として行っていた「調理」は、今ではほとんど行われておらず。
母も、介護スタッフさんによる「調理」は味噌汁作り程度だろうか。

私はできるだけ、電子レンジで温めれば食べられるもの、インスタントの味噌汁、私が作ったお惣菜など、介護さんの手を煩わせないように気を付けていた。

ところが。先日の担当者会議で
「お惣菜も余ってきて食べきれないことが多いので、お弁当と冷凍食品メインにしてください」と提案された。

なんだかなぁ。
家族の負担を最小にすることはありがたいが、母が私が作ったヒジキの煮物やおからなどを「美味しい」と言って喜んでくれているその楽しみさえ、奪わなければいけないのか??
・・・と、心の片隅に残る違和感。

実情を言うと。
介護スタッフさんは外国人が多く、恐らくメニューの構成ができないのが原因の1つだと思う。
朝食が味噌汁+パンだったり、ご飯の上に麻婆豆腐とスパニッシュオムレツ乗っけたりするしね。

母から反面教師で教えてもらった「食べ物のこだわり」
それに伴いいがみ合ったこと、嫌な思い出はたくさんあるけれど。
母に今残されてる楽しみは「美味しいものを食べること」

私に今できることは、美味しいものを作ること。
もはや、それすら実現できないのか・・・?

介護が楽になって良いではないか?と思えばそうかもしれないけど。
複雑な気持ちで朝を迎えている



認知症にやさしいまちづくり 私達ができること地域の取り組み

認知症について

前日の記事で上げた認知症について続き
https://kaigogacha.com/genkaku/

今までも何度か取り上げたが、認知症の方が外に出てしまった時の取り組みとしては、地域の見守り(ソーシャルネットワーク)があります。

家族の対応としては、GPSの活用、機材などを紹介しました。

認知症の疾患の理解と介護の方法については、簡単に取り上げましたが、今日は更に詳しく説明します。

認知症にやさしいまち

私の住む神戸市では、認知症にやさしいまちづくりとして、様々な取り組みをしています。

神戸モデル

「認知症診断助成制度」65歳以上の市民を対象に早期受診を支援する

65歳になると認知症の検査を無料で受けることができ、認知症の疑いがあると診断された場合は、より精密な検査を受けるように専門医を紹介する制度。

「認知症事故救済制度」認知症の人が外出時などで事故に遭われた場合に救済する制度

2007年に認知症で外に出ていた男性(当時91歳)が列車にはねられて死亡した事故。「電車が遅延した」として、JRから遺族に損害賠償を請求された事例をきっかけに、神戸市が取り組みを開始した救済制度。

認知症と診断された方が事故を起こし賠償責任を負われた場合(ご家族が監督義務者として賠償責任を負われた場合も含む)に備え、神戸市が保険料を負担して賠償責任保険に加入できる制度

認知症サポーター

厚生労働省が平成17年より取り組みを開始した事業「認知症サポーターキャラバン」

認知症サポーターとは・・・認知症についての正しい知識を持ち、認知症の人と家族を温かく見守る応援者

主に市町が開催する「認知症サポーター養成講座」を受講すると、認知症サポーターとしてオレンジリング、事業所には認知症サポート店のステッカーが配布されます。

認知症サポーター養成講座は、小学校などでも開催され、小学生から大人までが認知症サポーターとして地域の認知症の人達を見守る取り組みとなっています。

オレンジリング

認知症世界の歩き方

認知症の方達は、世界がどのように見えているのか
実際に認知症の方達にインタビューして作成された書籍です。

認知症世界の歩き方には公認ファシリテーターによるカードを使ったワークショップがあります。

認知症の方達の見えている世界を知り、私達にできることを学ぶことができます。

私も先日、公認ファシリテーターである知人の薬剤師さんにお誘いいただき、薬剤師さん対象のワークショップをお手伝いさせていただきました。
また今月末にも、小学生対象のワークショップがあり、そちらもお手伝いする予定です。

高齢者を介護する家族だけではなく、その環境を取り巻く周囲の方達すべてが「自分事」として、認知症を学び、皆で支えある地域になれるように、その一助となりたい。


「ベッドに蛇がいる」警察出動させた幻覚 認知症対応の方法と反省

パーキンソン病、レビー小体型認知症と幻覚の関係

パーキンソン病+レビー小体型認知症を患う母。
幻覚はもともとあったが、その程度は軽かったり酷かったりと波がある。

幻覚は病気と大きく関連している。
まずレビー小体型認知症の症状の特徴として、幻覚・幻視、それに伴う作話・妄想などがあげられる。

また、パーキンソン病の治療薬「ドパミン系薬剤」も、副作用として幻覚・妄想などの精神症状を引き起こす可能性がある。

母の場合は、そのどちらも当てはまるので、幻覚には常に悩まされている。

「ベッドの上に蛇がいる」

幻覚が酷い時は、精神的な恐怖を伴う幻覚になる。

「ベッドの上に蛇がいる」「家に火をつけられたから飛び出した」「娘が風呂場で縛られている」

この辺りは全て自ら警察に通報
警察が出動して対応し、結果的には娘である私に電話がかかってくる。
夜中に警察から電話がかかってくるので、また何事か起こったのかと思って驚いて飛び起きる。
正直、目が冴えてしまってすぐには寝付けなくなる。

ただ、自宅にさえいてくれるなら、警察には「幻覚なので大丈夫ですよ」と説明すればそれでいい。
外に出て迷子になっているのを保護されている場合は、迎えに行かなければいけない。

関連記事
「徘徊」ではありません
パーキンソン病79歳側溝に嵌る

高齢者の介護、特に認知症の介護に関して、本人を責めてしまうのはタブー。
看護、それも在宅で訪問看護に長年携わっている私は、そんなこと分かり切っているのだが。
さすがに連日の夜中の呼び出しが続くと、思わず責め立てる言葉も出てしまい、大変後悔する日もあった。

認知症の介護

高齢者や認知症の介護について。
前述したように、本人を責めてはいけない。

認知症の症状 認知機能低下として以下のような症状がある。

  • 記憶(記憶障害)​ ・何度も同じことを話したり、聞いたりする​ …
  • 注意(注意障害)​ ・注意力や集中力が低下し、同時に2つのことがしづらくなる・会話についていけなくなる​​ …
  • 言葉(言語障害/理解力の低下)​ …
  • 日付・場所(見当識障害)​ …
  • 段取り(実行機能障害)​ …
  • 行動・心理症状の一部

何度も同じことを言ったり、いつもできていたことができなくなったりすることで、介護している家族からすれば「何でこんなこともできなくなったの?」と責めたくなってしまう。
介護は精神的ストレスを抱えることも多く、ついつい言葉を荒げてしまうこともある。

しかし。本人は全く悪気がなく、むしろ自分自身も「できなくなってきていること」に対して不安や焦燥感を感じていることが多い。

これは子育てにも通じるところがあると個人的には思っているのだが
「相手を認める、受け入れる、笑顔で接する」ことが大事だと思う。

徘徊の時にも書いたが「徘徊」はただ意味もなく徘徊するわけではない
必ずそこには理由がある。

「買い物に行きたかった」「昔住んでいた家に帰りたい」「ゴミを出しに行きたい」等

本人がやろうと思ってもできなかったことを、穏やかに対応し導いてあげることが大事なのである。

認知症の主症状は上記に上げたが、BPSD(周辺症状)と言われる症状がある。

行動・心理症状(BPSD)とは

  • ■暴言、暴力
  • ■焦燥
  • ■叫声
  • ■介護抵抗
  • ■食行動異常(過食、異食、拒食)
  • ■徘徊
  • ■失禁、不潔行為
  • ■つきまとい

これらの症状は、主症状に対して適切な対応をしなければ、より強く表れてしまうことが多い。
良く聞かれるのが「物盗られ妄想」
「お金を盗られた!」「あの人が私の財布を盗んだ」などである。

主症状に対してきつく責められることにより、それを隠そうとする、抑圧された状況が、BPSDを進行させてしまう。

経験上でも、周りの家族が笑顔で対応している認知症の方は、いつもニコニコ笑顔の認知症のおじいちゃんおばあちゃんになっていることが多い。

赤ちゃんがお母さんの笑顔を見つめて「笑う」ということを覚えるように、認知症の人にも笑顔で接すると笑顔で過ごせることができるのではないかと思う。

・・・といって。それはそうそう簡単なことではなく、時には叱責してしまうこともある(私も)
だからこそ、介護の悩みを共有し、ストレスを少しでも発散できる場所が増えることを祈っている。
認知症カフェなども多いに活用するべき。
私もいつかは認知症カフェを運営したいおと思っている。

幻覚と身体機能のバランス(母の場合)

母の主治医は、神経難病専門の先生で、パーキンソン病の薬の調整がとても絶妙である。

おかげで母も動ける状態を維持できているのだと思う。

ただし。
個々の症状によっては、どうしてもバランスが取りにくい場合もある。

母の場合は、動きが悪くなってドパミンを増やすと、幻覚が強くなってしまう。
もともと幻覚が出やすいタイプの人は、かなりの高確率で同じような幻覚が発生するらしい。
精神的に恐怖を覚えるような幻覚があったときにドパミンを減量して、日常生活に支障がない程度に幻覚は落ち着いた。

ただ、最近動きが悪くなってきたのでドパミンを増量したら、側溝に嵌った正月の事件に至ってしまった。
もう少し転倒もなく、家の中で動けるような状態にしたいけど、薬が増やせない。

今回は少し動きにくくなるけれど、危険な状態を回避できるように薬を減量。
その代わり、室内での転倒は増えている。
バランスは難しい・・・

パーキンソン病とは? 基礎知識と母の経過

病気の基礎知識

パーキンソン病とは

脳の中の運動を司る部位の神経細胞が減少し、その神経が働くときに使うドパミンという物質が減ることによって起こる病気。ドパミンは運動機能を調節する働きがあるため、ドパミンが減ることによって動きにくくなったり、手が震えたりする病気。

治療法としては、不足しているドパミンを補い血中濃度を安定させれば、主症状は落ち着くことが多い。
ただし、症状によっては1日何回も時間を決めて薬を内服しなければならない。薬を内服し忘れると、ドパミンが不足し、動けなくなってしまうこともある。

更に認知症を併発していると、薬の自己管理は非常に難しくなる。

レビー小体型認知症とは

レビー小体型認知症はアルツハイマー型認知症に次いで2番目に多い認知症で、血管性認知症とともに「三大認知症」といわれている。

レビー小体はたんぱく質のかたまりで、神経細胞を傷つけてしまう物質。
レビー小体が脳幹に多くできるとパーキンソン病、大脳皮質に多くできるとレビー小体型認知症となる。

症状は主に、認知機能の低下の他に、幻視や睡眠時の異常行動などがある。

レビー小体型認知症には病気そのものを直す薬はなく、症状を遅らせたり、精神的な症状を抑えたりする対症療法などが主な薬物療法となる。

母のパーキンソン病について

発症から診断まで

発症したのはおそらく60歳になるかならないかの頃。
その頃はまだビルの清掃などの仕事をしていたのだが、手の震えを訴え始めた。

今思えばなぜすぐに「パーキンソン病」を疑わなかったのかと、現役訪問看護師として情けない失態を冒してしまったのだが。
本人が気付かないうちに脳梗塞などを起こして、運動障害が出てしまったのだろうか?などと思っていた。

清掃の仕事の会社は「そんなに手が震えているのでは仕事は任せられない」といってクビになった。
母も本格的に通院を始め様々な検査を実施し、パーキンソン病と診断された。

薬物療法をしながらの独居生活

発症初期は手の震えもあったが、薬物療法が安定してくると主症状も落ち着き、日常生活にそれほど支障もなかった。
認知症もまだ進行しておらず、私たちが帰省するのを楽しみにしており、得意だった(大量の)料理を作ってもてなしてくれた。

新型コロナウイルスの影響で症状が進行する

新型コロナウイルスが流行し、それまでお盆と正月に帰省していたのだが、集まるのはやめた。
また、恐らくデイサービスなども自粛になったり、訪問のサービスの回数も制限したりして、社会的孤立の影響を大いに受けたことと思われる。

その頃から、時々倒れて動けなくなって、翌日発見され救急搬送。発熱し救急搬送・・・などということが増えてきた。

意味の分からないメールや電話などが来るようになったのがこの時期で、恐らくこの時期に認知症の症状が進行したのだろう。

救急搬送からの入院、そして引っ越し

最後の救急搬送から引っ越しまでは、以前の記事参照
在宅で介護を続けられる理由

当時私の勤めていた定期巡回随時対応型訪問介護看護を利用し、神戸での在宅生活へシフトした。

薬の内服は 起床時、朝食後、昼食後、15時、18時、就寝前の5回
1人暮らしの時には、恐らく内服忘れなどもあったであろう。
複数回ヘルパーが介入し服薬確認することで、ドパミンの血中濃度は安定し、生活も安定した。

ただし。
安定しすぎて、外をフラフラ彷徨うので、迷子になってしまう。
毎日がパーティの連続で、飯台いっぱいにバラ寿司作ったり、一人焼肉パーティしたり。
別の苦労は付きまとうのであった。