看護師にだけは絶対になりたくない!と言っていた私が毒親の訪問看護

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「大学に行かせるお金はないよ」

母子家庭、姉弟3人の長女。
高校受験の時は「私立に行かせるお金は無い」と宣言されていた。
頑張れば合格できる可能性のある高校は「万が一落ちたら高校に行かせてもらえない!!」という恐怖のため受験を断念。
確実に合格できる高校を選択した。

大学受験のタイミングでも母は
「大学に行かせるお金はない。就職して家計を助けて欲しい」と宣言。
お金がないなら仕方ない。素直に就職するという進路を選んだ。

ところが。
ランクを落として入学した学校なので、一応ジャンルで言えば「成績優秀」
先生が進学をあきらめてくれなかった。

その時たまたま回ってきたのが、定時制の看護学校の推薦の枠だった。

先生!看護師にだけは絶対になりたくありません!

それまで、自分が看護師になるなど1度も考えたこともなく、
むしろ、絶対になりたくない職業だった。

先生!
私、自分の怪我の血を見ても気分が悪くなるんです。
夜の病棟の見回りとか、怖すぎて絶対無理なので、看護師だけは無理です。

その時の担任に放った言葉は、今でも一言一句覚えている。

夜の病棟はそんなに怖くなかった

「とりあえずここだけ受けろ。ここが合格しなかったら好きにしていい」
担任に押されて渋々受験した看護学校だったが、運よく(運悪く?)合格してしまった。

そして今に至る。

全身全霊で拒否した看護師だったけど。
始めてみたら、想像してたより夜の病棟の見回りは怖くなかった。
人の血なら、怖くなかった。

意外と行けるどころか、実際は何度もこの資格に助けられた。
離婚したときにすぐに就職することができた
子どもを育てていくのに十分な収入を得ることができた。

余談だけど。
離婚理由は元夫の浮気が本気になったパターン。
「結婚したい人がいるから別れてくれ」と言われ
「うーん、看護師の資格もあるし、何とかなるかなぁ」とぼんやり考えて承諾した瞬間を思い出す。
姑からは「何んで”貴方がいないと生きていけないんです。別れないでください”と言えなかったの?」と責められたが
「だって、生きていけると思ったんだもん」と思ったことは口に出さずにいた。

巡り巡って、毒親の訪問看護

看護師をしながら、息子と娘を育てる生活が始まった。
いつの間にか私は、訪問看護ステーションを設立まですることになり、存分に看護師の資格に助けられたことになる。

そして
60代でパーキンソン病を発症した母は、誰かの世話にならないと生きていけなくなる。
「あんたの世話にはならん!」と豪語していた母と、「看護師なんて絶対になりたくない!」と言っていた娘の私の介護生活は現在進行形なのである。

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在宅介護・在宅看護経験20年。
パーキンソン病+レビー小体型認知症の母親介護中
高齢者施設関係の仕事しています。
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