いわゆる嫁姑問題?
これまでも話してきたように、私の母は良く言えば自由人、悪く言えば自己中
ただし、全ての人から嫌われるかというとそうでもなく、田舎の親戚付き合いの中では、まぁ「そこそこ」という感じだったと思う。
普通に愛嬌はいいので(=悪いことしても全く悪いと気が付いてない)、表面的には悪い人ではない。
本人の育ってきた環境が母の人格形成に多大な影響を与えたのであって、母には責任がない(自分がどう生きるかということは別問題として)
・・・と、含むことは多いのだけど
言うならば、娘息子である私達姉弟は、大なり小なりの被害を被っているので、諸手を挙げて全肯定はできない・・・というのが正直な所。
自立して社会に出て、非常識を知る
実家で手伝いをしながら学校に通っていた中高生時代までは、母親のことはそれほどおかしい(?)とは思わなかった。
高校卒業して名古屋の看護学校に入学。実家を出て一人で生活し始めた頃から、周りの友人の両親との微妙な違和感を感じ始めた。
友人の実家からは、お菓子や食料を送って来る。何ならお小遣いも送ってくる。
方や我が家の実家からは、そういったものは一切ない。
むしろ「お金を送ってくれ」という電話は、再三かかってくる。
それでも、実家に帰る時は事前にお金を送り、仕送りもしていた。
お母さん大変だから仕方ないと思っていた。
毒親と娘の、お金にまつわるエトセトラ
そんなある日、盛大な違和感を感じる出来事があった。
「○○さんは、娘さんから”これで旅行でも行って”ってお金送ってもらったんだって。いいねぇ。あんたはそんなの一切送ってくれないやん」
私は、高校卒業から母に1円も出してもらわずに看護学校に進学した。
定時制の看護学校通いながら、看護助手として働いて稼いだお金は仕送りした。
帰省の度にお金は送っている。
「それだけで十分だ」と何で思わないの?感謝する気持ちはないの?
多分これは私が20歳になったくらいの出来事。
私はこの日泣いた。
今まで母のためにと思っていたこと全てが、母にとっては「当たり前」であり、更に「もっと」と要求するんだ。
私は何のために頑張ってきたんだろう??
私も自立して働き始め、成人となったこの時期。母への違和感が強めていく。
母に対する嫌悪感と結婚
看護師として働き始めた5年後、結婚をすることになった。
その婚家の姑と母は、当然上手くいく訳がなかった。
何とか上手く付き合おうとしてくれる夫とその両親。
自身の非常識さに気が付かない母。
挙句の果てに、母までもが姑を毛嫌いするようになり、両家は全く上手く行かなくなってしまった。
そもそも姑は、最初から母の事は毛嫌いしていたので、こうなることは必然だったのかもしれないけど。
そして、その娘である私は「あのお母さんの娘だから」というレッテルを貼られ、フィルターを通した目で見られる。
結婚前は礼儀作法を徹底的に教え込まれた「ゆつきさんは知らないだろうから教えとくわね」と。
結婚後生まれた長男が人見知りすれば「育て方が悪いから」
私は非常識な母に育てられ、常識をしらない人間なんだと落ち込んだ。
それでも、自分を変えて成長して、子ども達にちゃんと伝えたい。
私と同じ思いはさせたくないという一心で、姑に仕え、言われたことは忠実に守った。
事件勃発
私が結婚後に母も大阪に出てきて弟と暮らしていた。
お正月に私が息子を連れて元旦那と一緒に家に挨拶に行こうとした時のこと。
当時狭いワンルームに住んでいた母は「絶対に家には来て欲しくない」と言い張った。
姑は「普通は家に挨拶にいくでしょう。お金がないのに外で会うのもおかしい」と真っ向から意見が対立した。
母は「こんな狭い所恥ずかしい」「汚いし、見られたくない」と応じない。
狭いのは知ってるし、汚いのは片づけて清潔にすればいい話だと言っても絶対に応じない。
姑も断固「うん」と言わない。
間に立った私としては、姑から責められる一方。
母には嫁である娘の立場を考えて、嫌なことでも我慢して欲しかった。
そう言っても、受け入れてもらえなかった。
こうして、事あるごとに母は姑と対立。私は間に入って苦しみ、それは母への嫌悪感を強めることになってしまった。
とうとう夫も母を憎むようになっていた。
人格を否定され、私はゼロからスタートした
そんな時間が何度も重なり、関係修復は困難になっていた。
それでも私は多少なりとも成長し、姑には「成長したね」と認めてもらえることも多くなっていた。
しかし、そんな私の奢りを地の底に陥れる一言
「ゆつきさんね。人間って、育ってきた環境は変えられないのよ」
環境の悪い中で18年間育ってきた私は、それなりの人間にしかなれないと。
10年間婚家の風習に馴染もうと必死で努力し、時には認めてもらえるようになってきたが
いくら努力しても、18年間の環境は変えられないのだと。
それは全て無駄なのだと。
その日私は朝まで泣き続けた。
私だって選べるものなら、ちゃんとした家庭を選びたかった。
「努力」という選べるものを選ぶ選ばないは自分の責任であっても、育つ環境は誰にも責任がない。
それを否定されたこと。
をれは私の全ての人格を否定することだ。
そして離婚
離婚の原因は夫の浮気。
「好きな人ができた。結婚したいから別れてくれ」
姑は「やっぱり、育ってきた家庭があまりにも違いすぎると、上手くいかないものなのよ」と当然のように言い放った。
夫も私の母に対する嫌悪感と、その娘である私に対しての違和感が募っていたということだった。
私自身の考えと言えば
母も生まれ育ってきた環境が複雑で、本当の愛を知らなかったのだから、多少の問題があることは私は受け入れている。
でも、婚家との付き合いの中では、娘である私の立場を思って、頑張って欲しかった。
離婚の原因は母の事だけではないだろうが、婚家で間に挟まれて辛い思いをしている娘を思う気持ち。
私が欲しかったのはそれだけだ。
人間は何度でも生まれ変われる
人格全てを否定されたその日。
今でもこのことを思い出すと悔しくて涙が出る。
でも、この経験が全て負の遺産かというと、そうではないと思ってる。
私はこの日から生まれ変わった。
ゼロに戻ったのだから、そこから成長すればいい。
今思い出してみると、結婚するまでの私は人間として未熟だったし、社会的常識にも欠けていたと思う。
荒療治だったけど、それに気づかせてくれて修正させてくれた結婚期間には感謝している。
姑から教わったことを守って少しは成長できたので、その後私は社会人として通用できる人間になれた。社会に必要な人間になれた。
子ども達も優しく愛される子に育ってくれたのも、姑のおかげだと思ってる。
姑も今では私のこと大絶賛してくれているとのこと。
人生に全て無駄なことなんてない。何度でも這い上がってやる!
後は灰汁の抜けきった母をしっかり介護して、満足の行く人生を全うしてもらうことに専念しよう。
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